「ほどほど」が生み出す豊かな生活
つい昨日、うちの洗濯機が何の前触れも無くボン!という轟音と共に動かなくなりました。
あまりにも大きな音だったので「ミサイルでも飛んで来たに違いない」と目にも止まらぬ身軽さで食卓の下に飛び込みました(ミサイルだったら無意味です)。
しかし直後に音の主は洗濯機であったことが判明。
買ったばかりのドラム式洗濯機なのにいきなり故障か!訴訟か!?と盛り上がりましたがなんのことはない、洗濯物の詰めすぎで轟音と共に機能を停止しただけのご様子。
120%自責ですので訴訟どころの話ではありません。確実に敗訴です。
しかしまあ最新式の洗濯機でもやはり許容量を越える洗濯物を放り込むと故障するんだな、と変なことに感心してしまいまして。
しかしこれは同じことが人間でも言えます。
たとえばどんな胃袋を持つ人間であろうとも必要以上の食べ物をとり続ければ内臓は必要以上の作業を強いられ続け、本人の自覚のないところで着実にその内臓寿命は削られています。
特にギャル○○さんなどの大食いタレントさんは非常に心配です。
いくら身体に有益だ、と言われても個人差を考えずにその人の許容を越える水分を摂り続ければ体内の水分量は限界を超え、めまいや耳鳴り、はてはむくみや肥満の原因となって体を襲います。
以前に流行った1日○リットル以上の水を摂りましょう!というものがいい例です。
性行為は自分の限界以上に回数を重ねれば重ねるほど「腎」の力を消耗し、老化現象を早めたりすることにもつながりかねません。特に高齢になればなるほどその消耗は激しくなります。
やれ便秘に下剤だの浣腸だのと使い続ければ次第に身体は薬に依存し、薬の効き目が無くなり、使用量はどんどんと増えていくこともあります。
何事も過剰に行うということはその見返りに健康などの大事なものを削られていると考えてもいいと思います。
森林を伐採すれば一時的に生活は潤うかもしれませんが長期的には大気を汚染し、我々の生活環境を破壊します。つまり「地球の健康」が削られていきます。
我々人間が他の動物と比較して全く劣っているのは「ほどほど」という意識が欠けているところだと思います。
他の動物達は自然と共存し、自分達の必要なだけの食料を確保します。
以前に自分達の欲望のままに伐採し、汚染し続けることにより増加し続ける人間という存在は地球のガン細胞のようだ、と書かれた本を読んだことがありますが、残念ながら認めざるをえません。
かつては人間も自然と共存し、「ほどほど」の感性で生活をしていたはずです。次第に技術が向上し、知識がついてしまったことが結果的に我々のその感性を弱める結果になってしまいました。
しかし一度豊かになってしまった生活はよほどのことがない限り手放すことはできないのかもしれません。たとえそれが取り返しがつかないことになってしまうとしても。
ある人の生活が潤えばその分痛みを感じる誰かがいる。
それと同じように自分の食生活や生活が豊かで便利になれば自分の身体の中で痛みを感じる部位がある。
「ほどほど」を考えながらの暮らし方、という考えが結果的には自分とその周りの誰かを豊かにしていくのかもしれないな、と思う今日この頃です。
そんなわけで洗濯板を「エコだから」と笑顔で妻に差し出すのもその一環です。決して壊した言い訳なんかじゃありません。


Comments
こんにちは。
いつもお世話になってます。すずきです。
「ほどほど」ホントに同感です。
最近ワタシは安い大量生産品にはなるだけ手を出さないように心がけています。やっぱり安いには裏があり、それが今の環境破壊につながっている!と思っています。
Posted by: すずき | 2008年05月22日 15:46
すずきさん コメントありがとうございます。
ただほど高いものはない、という言葉がありますが大量生産大量消費は今のご時勢にそぐわなくなってきていますよね。ただ中国やインドなどの新鋭国が我々先進国に「おまえらの都合でころころ方針を変えるな」というのもわからなくはないですよね。ただやはり私達が住んでいる地球そのもののことですからできるだけ歩み寄って行きたいものです。
人間のエゴで地球を痛めつけてる現状なのは間違いないわけですからね。
Posted by: タクヤ先生 | 2008年05月23日 11:24