切なさを消せやしない ~パントマイム駄菓子屋~
2009年6月18日 09:59(できる限り)毎日更新 乱れ書き日記
テレビで「消え行く街の風景」という特集が組まれていてふと思い出したことがありまして
今でこそ「駄菓子屋さん」というものは近所でも見かけなくなってしまい、よき昭和の香りを出すための一つの要素のように語られることが多くなりましたが、私の幼少時代にはすぐ近所に「江村商店(仮名)」という名前の駄菓子屋さんがございまして。4~5歳の頃は毎日のように50円玉を握りしめて幼馴染の友達を連れて行っておりました。
この江村商店、おばあちゃんがお1人で経営している「いわゆる駄菓子屋」でして、一つ5円程度の駄菓子が所狭しと陳列されており(今思うとあの料金設定で成り立つのか不思議ですが・・)、思い思いの駄菓子を手にとってどう見ても隣に並んでいる毘沙門天の置物と区別がつかないおばあちゃんのいるレジまで持っていく、と言うシステムでした。
私がちょうど小学校にあがる時までお店はやっていました。
おばあちゃんが亡くなったのか経営が立ち行かなくなったからなのかIT産業にシフトしたのかは定かではないですが店が営業を終了する最後の1年間が非常に印象的でした。
その年になったある日
いつものように江村商店へ行くとなんとなく内装が変わっていることに気がつきました。
よく見るとどうやら駄菓子の他に野菜や果物が置いてあります。
「ばあちゃん、これどうしたん?」
という我々の問いに おばあちゃん、にまーっとした笑顔を浮かべると「たかくけいえいじゃ」と答えました。
今思うと多角経営と言うより自転車操業だったと思うのですがその時は「ふーん」と納得しました。どうやら子供と一緒に駄菓子を買いに来るお母さんをターゲットにしたかったようです。
1ヵ月後・・
また店内の様子が少々変わっておりました。
今度は店内にえもしれぬほど微妙な婦人ものの洋服がかかっています。
野菜を置いたことで味を占めたのか効果がないのでヤケクソになったのか判別のつきづらいところですが子供心に後者である気がビンビンしていました。
しかしおばあちゃんは変わらずのにまーっとした笑顔を浮かべたまま。
財源はどこから出ているのだろうかと子供ながら心配になった記憶が今も残っています。
そして極めつけはそれからさらに2ヵ月後のある日のこと・・
駄菓子に混じってビールのケース箱が置いてありました。
さすがにこれはいただけません。
お母さんからお父さんまで取り込む作戦なのでしょうがミソなのは駄菓子を買いに来ているお父さんやお母さんを一度も見たことがないという点でしょう。
江村商店の看板もよく見れば商の字がペンキで酒に変えられています。
(酒店の営業許可とか今思えばどうしていたのでしょうか・・)
その数ヵ月後にもはや駄菓子屋でなくなってしまった江村酒店は営業を終了しました。
前述のとおり閉店の理由は不明ですが酒を置いたせいで子供を行かせてはいけないという事になったと十数年後に後日談として母に聞きましたのでまあ・・それが有力かと思います。
えーと今日は・・・ああ、そうか多角経営にはご注意、というお話でしたね。
今も江村商店のあった場所跡を通りがかるとあの頃の思い出と大人の世界は厳しいという思いがフッと頭をかすめていきます。