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子供の名前と愛情一本

2012年5月22日 14:37(できる限り)毎日更新 乱れ書き日記

つい先日のことですが、漢方の勉強会に出席するため、横浜へ向かっていた電車内で、3~4歳の子供を各自連れた若いお母さん友達らしき女性二人の話がふと耳に飛び込んできました。

混み合っている車内でとんでもなく大きい声で話し合うお二人の声は嫌でも耳に入ってきてしまうからです。話している会話の内容はどうやら「子供の名付け」について。

「子供にありきたりの名前つけるとか親としての愛情が薄いんじゃない?って思うことあるんだよねー」

「あーそれすごいわかるぅ~~!」

全く関係ないところから本当に申し訳ありませんが全くわかりません。太郎ちゃんや花子ちゃんと名付けた親御さんが愛情薄いという根拠は全く理解できません。

確かに自分の子供を特別視する気持ちも理解できますし、その子にふさわしい名前を付けてあげたいという気持ちも全く否定する気持ちはないのですが、当て字でトリッキーでまともに読むこともできない名前を付けられた子供達がのちのちどれだけ苦労するか考えればそれが本当に愛情なの?と親の立場から純粋に問いたくなります。

私も市の休日急患センターで薬剤師の当番をしている時などにも頻繁に解読不能のお子様のお名前にぶつかり都度「すいません・・こちらはなんとお呼びすれば・・?」と確認しております。その時にも「なんでこんな名前も読めないのよ」という顔で「単車(ましん)に決まってるでしょ!」などと言われますが正直どこの世界で決まっているのか教えて欲しくなります。

その昔、自分の子供に「悪魔」ちゃんという名前を付けて話題を巻き起こした方がおられましたが、今となっては珍しいことではなくなっているような気がして薄ら寒くなります。

公共に出たときに誰にも一度で呼んでもらえない、そのストレスを想像しただけで他人なのにその子供の将来がとても辛いものになるのではないか、と考えてしまいます。

私は子供が大好きです。
自分の子供でなくとも無邪気な子供には元気で幸せな毎日を過ごして欲しいし、ましてやこれだけ幼児虐待や親からのストレスで精神に病を抱えるお子様を見る機会のある仕事をにいるせいで、色々と勝手な妄想に胸が締め付けられることがあります。

親だって人間です。完璧な人間などは存在しないことはよくわかっておりますし、自分だって人様に褒められる人間かと言えばそんなことはありませんが、親の未熟さ、かわいい!という思考でオシャレさながらに付けられた名前を「愛情があるから」というもっともらしい理由にしてほしくはありません。

人様の親御さんが付けられた名前を私などがどうこう言える立場ではないのですが、それで苦労している子供達を何人も見ている立場からするとどうしても書きたくなってしまいこのような文を書いてしまいました。以前「なんでお父さんとお母さんは僕にこんな名前つけたんだろう」とある男の子に涙ながらに聞かれた経験がどうしても頭から離れませんでした。今日の文章はひょっとするといつものタクヤブログを読みに来ていただいている皆様に不快な思いをさせてしまったかもしれないことを心よりお詫び申し上げます。


これで私が自分の子供に「黒鷲(ぐりふぉん)」とか名付けたら打首獄門ですね。

私も処方箋を受け付けたときに、氏名欄をしばらく凝視してしまうことが。一発で読める名前をつけてくれてありがとう、父よ母よ。

打ち首獄門前に座間市中引き回しの計です。

お久しぶりです。お元気ですか?
3月あたりから卒園(しかも閉園)やら入学やら、
更には4月からPTAの役員をうっかり引き受けて
日々地獄を見ているという今日この頃です。
余白が足りません。手帳と心の余白が。
どれだけ漢方の勉強会も進んでしまったのでしょうか。
自分自身、メンタルヘルスケアの勉強を始めたはずでしたが、
未だ一度も教科書に触れていません。

と言いながらもよく通るスギヤマ薬局の前。
必ずタクヤ先生いらっしゃるかしら?とチラ見はしているんです。
胡同にも既に3回は食べに行ってるし。

また参加出来る事を夢見て、役員業務を全うしたいと思います。

こまちさん:いい名前ですよね。こう・・静かな感じで。

ちび黒たまごさん:お久しぶりです!そこまでお忙しくなっておられたとは・・・!私もぱったりとご参加が途切れたので一体どんな失礼を働いたのかと思っておりました。ちょっとホッといたしました。
今はほとんど本店におりますので本店の前を通るときはたまには顔を出してくださいね、漢方講座も漢方セミナーもどちらでもお時間のあるときは是非ご参加ください。待っています!!