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CMの注釈が過剰である

2012年10月 2日 15:02(できる限り)毎日更新 乱れ書き日記

某女性大臣が閣僚入りされたということで今日はちょっと毒舌でも吐いてみようかと思う。

 

最近テレビCMを見ていると過剰な注釈がしばしば見られる。

サプリメントや食品などのCM中に画面の下の方に現れる「この感想は本人の体感によるものです」などはまだまだ理解できる範囲のものであるのだが、最近こうした注釈がどんどんとエスカレートしている気がする。

例えば

洗剤のふわふわ感を「ふわっふわ~!」と表現しているCMの下にも「これは出演者の体感した感想です、人により個人差があります」というコメントを見つけた時には「いや・・そこまで言わなくても」と思ったものだが、最近では本の中から飛び出してくる雑誌のCMに「コマーシャル上の演出です、実際には飛び出しません」、やヨーグルトのCMで乳酸菌の可愛らしいモチーフキャラクターがバイキン君を攻撃している時に「実際の映像とは異なる描写です」などという注釈まで付いてくる。

最初はこれはなんだ?「おまえらは馬鹿だからここまで言わないとダメだろ?」と言われているのか!?と思わず新聞社に投書しかけましたが、よくよく考えてみるとおそらく実際に「飛び出さないじゃないか」とクレームの電話を入れた奴がいるからこうなった可能性に思い当たりました。制作側も「なんでこんなこといちいち言わなきゃいけなんだよ」とぼやきながら作っているのが目に浮かぶとなんだか可哀相になった。

要するにいちいちテレビや雑誌の広告に踊らされた挙句にいちいち文句をつける輩が増えているということなのであろうが、これは何もテレビだけのことではなく私の薬局にも時々意味不明の電話がかかってくることがある。最近閉口したのは「冬蟲夏草(とうちゅうかそう)って蟲なんですか?草なんですか?」と電話で名前も名乗らずにいきなりまくし立ててお聞きになられたので「虫に寄生するキノコの一種なんですよ」とお教えしたところ、「要するに虫なんですね!虫を食べさせるなんて一体どういうつもりなんですか?!訴えますよ!」と喚き散らした挙句に「これだから漢方なんて飲みたくないんだ!」と一方的に電話をお切りになられました。どうやら外国の方だったようである。

まあ私の薬局の話は別にどうでもいいとしても例えばこの前ある保育園の前を通りがかった時にどうやら運動会を開催されていたようなのだが子供を載せてきたであろう自転車が駐車場に整然と並んでいるところである母親が半狂乱で喚き散らしていたので何事かと耳を澄ませてみれば「このあと 小学校の運動会にも行かなきゃいけないので私の自転車は並べられたら困る!」と喚いておられる。先生方も対応に苦慮されておられたご様子で大変に同情してしまった。 単なる通りすがりの私としては母親の方を優しく叩いて、「なるほどなるほど、急ぐお気持ちはよおく理解しました。あなたのおかげで運動会が遅れているんですよ。とりあえず出てけ☆」と告げたい衝動に駆られました。こういう連中のせいで我々世代の評価が下がることが本当に腹立たしい。何よりもわめきたてるそばに所在なげに立っているこの親の子ども達が不憫でならない。とりあえず親の顔が見たい。

過剰になるCMやテレビ番組内の注釈はそれにいちいちクレームを付ける一部の層によるものであることは想像に難くないのだが、それならばテレビなんて見なけりゃいいのに、と思ったものだがこういう層に限って一日中テレビの前に座っていたりするので始末が悪い。

テレビ番組全般あまり見ないのだが、とりわけ「ワイドショー」と言われるものは個人的に大嫌いなため(最近特にひどい)、まず自分から見ることは皆無なのであるが、こういう輩からの対応に苦慮しなくてはいけない制作者側の苦労には頭が下がる思いである。

ただこのままいくとこうした注釈は際限を失いかねないのではないかという危惧がある。「これはあくまでも演出上の中尾彬です」などといった注釈が出てくる可能性すらありうる。もはや意味不明である。

テレビが普及し始めたばかりの頃ならいざ知らず、3歳児がスマートフォンを巧みに操る時代である。テレビと新聞のみが唯一の情報媒体と認識する時代はおそらく20年ほど前に終わっているわけで、子供達ですら自分で情報媒体を選んで様々な情報を確保している。「子どもの教育上よくない!」と叫ぶのなら現代の子供たちがいかにテレビという媒体に依存していないかを理解すべきだと思うがいかがであろうか?

 

今日はそんなわけでちょっと色々と毒を吐いてみた。

※この日記は本人の体感した感想です。