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毎年更新変身ベルトである

2013年1月18日 14:39

私が幼少の頃に心ときめかせてみていた「仮面ライダー」。

平成の世になっても「平成ライダー」と言われる仮面ライダーたちが続々と登場して男の子達を興奮させている。

 

しかし最近の仮面ライダーは実に複雑怪奇な変身システムを持っているようである。

我々世代(昭和)の仮面ライダーは見た目こそ異なるものの、腰のベルトに風力を当てると・・という原理で変身していたものだが、最近ではやれカードだのコインだのスイッチだの指輪だのその付属品の存在が甚だしい。しかしそれらを使いこなして戦うライダーの姿は電子社会に生きる子供たちにとっては何ら複雑ではなく写っているようである。恐るべき順応性である。

かく言う私も2つほど前のライダーから懐かしさも手伝って日曜日の朝、筋トレがてらほぼ欠かさず見てしまっているのであるが、面白いとか面白くないというよりも「仮面ライダー」という名前でついついチャンネルに手が伸びてしまう。一種の病気のようなものかもしれない。風呂上がりに下着を着ながら「シュビドゥバタッチ ヘンシ~ン」と呟いている自分にそとはかとない不気味さを感じつつもそれを許容している自分もまた存在している。

ただ世の親御様を悩ませているのはその複雑怪奇な変身システムや武器の多さである。

我々の頃は変身ベルト一つ買えばそれで済んだものだが、少子高齢化のこの時代においてそんな薄利でやっていけるか!というバンダイの声が聞こえてきそうな感じがするのである。例えばひとつ前のライダーである「フォーゼ」の場合、腰のベルトに様々な性質を持ったスイッチをスイッチオン!して戦うのだがこのスイッチが40個ほど存在する。重ねて言うならばそれらは別売りである。余談にはなるがなぜ40個あるのかといえばこの作品が仮面ライダー40周年だから、ということらしいのであるがそんなこと知ったことではない。

親からすれば色以外何が違うか理解できないスイッチを40個買わされるわけであるからたまったものではない。「我慢しなさい!」と言っても「40個揃わないとコズミックステイツになれないんだよ!」とか泣きながら懇願されると「お、おう」と言わざるを得ない。泣く子には勝てないの法則である。このあたりの心理を玩具メーカーにものすごく分析されているような気がするのである。

一事が万事このような様相を呈するわけであるから作中で新たなライダーが出てきたり(最近のライダーは途中でほぼ100%新たなライダーが出てくる)すると、当然新たな変身ベルトだの武器だのを買わされる可能性が増加するわけであるから番組の視聴率とともに親の血圧も急上昇である。

さらにさらにこのシステムの恐ろしいのはTVで放送してるライダーが終わった瞬間にそのベルトや武器が全く価値を失うという点。我々が子供の頃の戦隊シリーズなどでも同様の現象が起こってはいたが、購買する数の桁が違うのでダメージも半端ではない。前日まで宝物呼ばわりしていたものが一夜(最終回)あけた途端にゴミになるこの辛さ。近年のライダーベルトは超人気でトイザらスに並んで買う親御様も多いと聞くのでそのダメージたるや想像するだけで胸が痛む。

 

そこで、私からの提案としてこれから出てくるライダーは全て「○○号」というふうにすればいいと思うのである。

例えば現在は「仮面ライダーウィザード」というライダーが活躍しているのであるがこれもズバリ仮面ライダー24号とかにするのである。次作のライダーは当然25号となり、変身ベルトは全て共通にするのである。1号ライダーと2号ライダーの違いは手袋の色とかそういう類の差でしかないので、これを踏襲し、すべてのライダーの骨格というか基本的なフォルムと格好はすべて同じにすれば良いのである。1~25号まで並べた時にほぼ見分けがつかないのが理想である。こうなれば世代が違えどライダーの姿はほぼ同じであるから異なる年代でもなんの抵抗もなく話をすることができるし、ベルトもひとつだけ買えば余計な金もかからない。当然必殺技も肉弾攻撃に限定する事は言うまでもない。子供もハッピー親もハッピーの素晴らしい企画である。

 

ただし玩具制作会社は100%潰れるのが唯一のネックであるが。