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過剰なる謳い文句が多すぎるのである

2013年4月13日 12:32(できる限り)毎日更新 乱れ書き日記

さて、これを書いているのは例の隣国が打つぞ打つぞとがなっている頃なのであるが。

これに関係する事でちょっと先日ネットで見かけたのが「無慈悲なシリーズ」という風刺サイト。
10年ほど前からくだんの隣国が「無慈悲な鉄槌を喰らわす」的なことを幾度と泣くおっしゃっておられるのであるがそれらを全て箇条書きにして分析する、という一風変わったサイトなのであるが、このサイトで結論づけているのは「ミサイルの精度の向上とかはさておき10年前と何も変わっていない」ということ。

もちろん緊迫した情勢であり、それを笑い飛ばすというのは良くないのであろうがこういうサイトがあるというのはある種日本人は「またいつもの騒ぎか」と冷静すぎるくらい冷静に捉えているということなのであろう。その辺の善し悪しについては私の意見などを交える必要は無いので割愛させていただくが。

また、このサイトを紹介している記事が比較対象として挙げていたのが「ボジョレーヌーボー」の謳い文句。例えば「最高では!?と言われた2009年に匹敵するとされた2010年に勝るとも劣らない今年のヌーボー!」という感じなのだが一体どれくらい凄いのかが全く伝わってこないのが逆に凄い。これもネットではある意味「いつものアレ」的な風刺ネタとして扱われているようである。

こういうある種の「誇大広告?」について自分の生活圏内を見回してもまああるわあるわ。山ほど存在する。例えば「これ一つで全ての家事ができるモップ」というのが家に転がっていたがどう考えてもモップで料理はできまい。この時点でとんでもない大ボラふき野郎感満載である。また食品を見ても「イタリア有名シェフの味」と書かれたカップパスタが家にあったがどう考えても私の作ったナポリタン以下の味でしかないのでイタリア有名シェフが訴訟をおこしてもなんら不思議ではない。さらに「今世紀最後の傑作ミステリー」という推理小説も部屋に転がっていたが21世紀も随分甘く見られたものである。

ちょっと辺りを見回しただけもこのような問題作がごろごろと見つかるというのは過剰な謳い文句での競争を続けているような現代を象徴しているわけではあるが、とはいえ謳い文句がマーケティングの観点からすると大きな意味を持っている事は否定できないわけであり、それがある種の魅力となり、誰かの目にとまり、成功への道筋が開ける事もあるのではないか、とも正直思う次第である。








そんなわけで今日から私自信の謳い文句を「宇宙最強の薬剤師」にしようと思う。