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名付けのせいで寝付けない

2014年6月30日 16:08(できる限り)毎日更新 乱れ書き日記

私の記憶が確かならば家人が臨月である。

どうやら性別が男のようなので我が家にとってみるといわゆる「待望の長男」というヤツになるのであるが、困った事に予定日が刻一刻と近づくのに一向に決まらないものがある。名前だ。

いや、実は名前の候補は今までにいくつも出しているのである。字画だの姓名判断だのやかましいことをいう家人に文句を言われないように逐一チェックしつつ、ほぼパーフェクトの字画を引き当て、かつ私の「こう言う子供に育って欲しい」という切なる願いを名前に詰め込める名前をひねり出すのはとんでもない労力を要するのであるが、それこそ産みの苦しみに耐えて生み出した渾身の名前を「おじいちゃんと同じ文字が使われている」とか「この字を嫌がる人がいそう」などと「パパと同じ空気を吸うのが嫌」と思春期の娘が言うレベルのいちゃもんまがいの難癖つけては家人がOKを出してこない。「男の子の名前はお父さんがこだわるものだからネ!」などとのたまっているくせに一向にOKを出さないので「じゃあもう杉山 発気矢緒(パッキャオ)ね!」と有無を言わさず巷に溢れるドキュンネーム(解読・および理解不能な名前の事)にしてやろうかと思うが、どう考えても子供の人生を台無しにするだけなのでグッと引きとどまる。

しかし何かヒントでもあれば、と名付けの本を買ってはみたもののなんとこの中に驚くべきドキュンネームの多き事か。少なくとも私の時代に私の知っている同世代までの人間には聞いた事が無いような名前、文字が燦然と連ねられている。名付け本がこんなことになってたらわけのわからない名前が増えているのも少しだけ納得できてしまう。というか「これおまえの子供にホントに付けるんだろうな」と監修した奴らを正座させて聞きたくなるレベルである。

もちろん親御様が愛するお子様に付ける名前に対して文句を言うと言うのははなはだ失礼に当たる事は重々承知ではいるのだが、例えば同じ小学校とか中学校になった時に親として子供達に接する機会はどうしてもあるわけで、その子供の名前がをどう読んでも読めないというのは本当に厳しい。厳しすぎる。何が厳しいって名前をまともに呼んでもらえなかったその子が「もう慣れてるけど」みたいな顔で苦笑するのが耐えられない。

かなり昔の職場の事になるが事務員さんのお孫さんの写真と名前の漢字「虎男(←仮名)」を見せられて「へぇ〜とらお君ですか!カッコイイ名前ですね!」と褒めたら「ちょっと杉山さん勘弁しておくれよ!とらおじゃないよタイガーだよ!」と言われた事がある。あれから15年越しくらいで経っているのでもう言ってもいいと思う。もうホントに勘弁してください。

昔ながらの名前がかっこわるいとかその子の個性が無くなるとか色々ご意見もあろうがその子の名前の個性よりもどうか人生を優先させてあげて欲しいと心から思う。せめて音読みと訓読みを組み合わせて読める名前にしてほしい。休日急患センターとかで当番やってる時にどう考えても読めない名前を仕方なく無理矢理呼んだ時に母親が「違います!○○です!!」って半ギレで言ってくるのはもうたくさんなんだ!!(「純愛(ぴゅあ)」と書かれた処方箋の前に崩れ落ちて絶叫)。

あと「子供が将来外国に行った時に名前で困らない為に」っていうのも良く聞くのだがそんな先の事より乳幼児の段階ですでに薬を出す時に名前を読めずに困っている薬剤師(日本人)がいることを知ってほしい。私は卓也というコテコテの日本名で外国で困った事は一度もないし、そもそもそんなこと考えるの日本人だけじゃないかとすら思う。日本人が日本の名前をつけることに疑問を感じる必要性を少なくとも私は感じない。



・・さて今日は子供の名前が家人の理不尽な拒絶により一向に決まらない事を愚痴ろうと書き始めただけなのに自分の中にこんなに社会へのフラストレーションがたまっていた事に驚きを隠せない。しかもこれで生まれてくる長男に「父楽智(パパラッチ)」とか名前付けて「ああなるほど今日のオチはそこか」とか思われるのも困る。名付けのハードル自分でもの凄い上げてしまった気がする。完全な自爆日記である。





なので今日は「杉山家の新しい仲間の名前を募集します!」と市のゆるキャラ名応募みたいな募集かけて終わろうと思う。(例:スギッシー)


梨汁プシャー。